今回書くのは『MAD MAX FURY ROAD』と『Tomorrowland』という2本の映画。なんとも奇遇な事に、今映画館では2つの未来予想映画が公開されている。一方は荒廃した未来を描いており、もう一方は希望に満ちた未来を描いている。
まずは『マッド・マックス 怒りのデスロード』
ご存知『マッド・マックス 怒りのデスロード』(原題:MAD MAX FURY ROAD)は、苦節30年、ジョージ・ミラー監督がやっとの思いで公開まで至った「マッド・マックス」シリーズの最新作だ。
このシリーズは、メル・ギブソンを主役とした前三部作が当時大流行して、世紀末に変な格好をした野蛮人が雄叫びを上げるというイメージを定着させた。主人公マックスは三部作を通して妻と娘を失い、愛車のV8インターセプターを操り、環境汚染や戦争で水と石油が枯渇した荒野を放浪する。最新作ではトム・ハーディが新生マックスを演じているが、この設定に変わりは無い。むしろ地球の砂漠化が進んでいる。
ストーリーは至ってシンプルだ。教祖的な悪者から、女と一緒に逃げる。ただそれだけ。敵の軍団は、雑魚は全身白塗り坊主の精子みたいなウォー・ボーイズ達に、幹部の人食い男爵と武器将軍。大ボスは肉体改造された内田裕也みたいなイモータル・ジョー。最早何を言っているか分からなくなるような内容だけど、本当にこんなんなのだ。衝撃的なのは、砂漠を改造した車でずっと逃げるのだが、全く戦わずに太鼓叩いてる奴とか、洗濯物みたいに吊るされてギターを弾いてる奴とか、もう脳の許容範囲を完全にオーバーしている連中がウヨウヨ出てくる。
この映画、二回観に行ったんだけどまだまだ頭が処理しきれてなくて、上手い事言葉で言い表せません。できれば毎日レイトショーに通い詰めて観たい。
僕なんかは、マッド・マックスシリーズが公開された当時はまだ産まれてなくて、DVDで観たけど、どうにも病みつきにはならなかった。あー面白い映画だなとは思ったけど、熱狂はしなかった。だから今回の映画も、正直どういう取っ掛かりで入ればいいのか戸惑っていたのだが、開始早々からそんな事はどうでも良くなった。今この瞬間に映画館で『マッド・マックス 怒りのデスロード』を観れる喜びと、一生誇れる経験なんだと思った。それこそトレーラーが時速100キロで突っ込んでくる様な衝撃を受けて、もうクラクラしっ放し。映画館で映画を観るという行為はただ家で映画を観るという行為とは全く違う。それは祭に参加するのとただ祭を見ているだけ程の差がある。だからこの映画は映画館で鑑賞するという価値を教えてくれる映画だ。
もう一本の『トゥモローランド』。
こちらはディズニーランド内にあるテーマパークが元になっている映画だ。主人公のジョージ・クルーニーは幼い頃に万博で、発明展覧会に応募するも落選してしまう。しかし不思議な少女から貰ったバッヂが彼を異次元の未来世界トゥモローランドへと導いた。数十年後、また一人の科学オタク女子高生が同じバッヂを手にして、トゥモローランドを探そうとする。もし人類の英知を結集して、病気も貧困もない世界を作れたら、そういう未来をどうする?そこに行けるのが、選ばれた人だけならあなたは選ばれる?
そういうメッセージ性の強い映画で、子供の頃はピカピカの未来を誰しもが思い浮かべたものだった。しかしどうだ、21世紀はあんなに輝いていたのに。今の日本に溢れているのは、汚い金と燃えないゴミくらいだ。主人公たちは、何も天才的な頭脳を持っているからトゥモローランド行きに選ばれた訳ではない。彼らは本気で科学の力を信じ、その発展を願い、努力し続けた。ジョージ・クルーニーなんてあの歳と顔でジェットパック使って空を飛んだんだぞ。
いつからか科学がもたらす希望を人々は忘れていった。それどころか偏屈になって断捨離や無農薬とか言って原始時代に戻ろうとしている。ロケットが天高く打ち上がって、ワクワクする人間がどれ程いるんだろうか。みんなスマホばっかみて下向いてるじゃないか。本当に大切なのは科学をコントロールして、人類の明るい未来を築く事なんじゃないのか、と、この映画は疑問を投げかけてくる。そしてそれを実現できるのは夢を諦めない人なんだと、とっても純粋で綺麗な願いが込められた映画だった。